「。」をつけると圧力になるそうです。
SNSを利用している一部の若い人たちにとっては。
「マルハラ」だそうです。
こんな事を言っているのは、「一部の若い人達だけだ。」と思っている若い人ではない方々は、言葉は時代と共に変化している事、そしてその変化は若い世代から発生していく事から目を背けている、または、知らないでいる、という事だと思います。平安時代の文体が古語となっている事が、その証拠ですよね。「光る君へ」、面白いです。でも現代語。
句読点は小学校の国語で50音と共に最初に学ぶと思います。
文章の最後に「。」が付かない事は気持ちが悪いと感じないのでしょうか。
感じないのでしょうね。
ツールが変化してきたから。
巻物に墨で記載していた書物の時代は、文字自体が珍しく、記載できる人は貴重な人財でした。ちなみに「人財」は最近の造語で本来は「人材」だと思います。(人はチカラだ。)
巻物や物理的な書物はその記録により、様々な人類の記憶の伝達が求められた機能でした。その為「わかりやすさ」が必要となり、文字に詳しくない人でも読めるように工夫の一つとして句読点が生まれたと聞いています。
そういった、記憶の伝達機能という意味では、スマートフォン利用によるSNSにとっては、文章である必要がないからだと思っています。できるだけ短く、単語のみで伝えることが出来れば、できるだけ短い単語で伝わる事が重要なのでしょうね。w
今の気持ちを伝えることが出来ればよいのですから。w(失礼しました。これで最後にします。)
仕事の報告であれ、学校行事の連絡であれ、恋愛の思いであれ。
その文字と同時に、写真やイラスト、動画など「添付」できる事は、人類の大きな進化の一つだと、僕は考えています。
これより先は「攻殻機動隊」のような、「ネットの海」を肉体的「プラグ」で直接、脳に伝える事ができるようになれば、もう一歩、人類は進化が進むのかな。
人類が「群体」になるのが先になるのでしょうか。
人間賛歌。
人はより多くの可能性を持っていると信じます。
見て頂いた皆さん、ありがとうございました。
※ 「w」・・・「「w」は「笑い」という意味です。「w」を重ねて「www」と書く人もいます。「w」はネット用語としてインターネット上の書き込みで見かけることがありますが、一般的になじみが薄く、意味を知らない人もいるようです。」
だそうです。誰が書き始めたか分かりませんが、うまい事表現したなぁと思います。(草)